デッサンの音

178 :T.K.:2009/10/23(金) 17:17:34 ID:8A2h+dAfO
日曜日。
目が覚めてしばらく布団の中で雨を聞きながら考え事をしていたところ、アトリエの方からデッサンの音がする。寝せ気味にした硬目の鉛筆が、紙に速い線を重ねる音。
デッサンは時々手を休め、速度を変えながら、いい調子なのが伝わる。
モチーフは何だろう。
音の具合は…東向きの姿勢だから、レモンとグラスか、真紅の布にグレープフルーツふたつの瓶、牛角に幾何形態の静物か、アリアドネ。
鉛筆だからアリアドネかな。
時計は午前8時過ぎ。日曜日アトリエはお休み。神様だってまだ寝てる。
描いているのは誰だろう。

この、誰もいない筈のアトリエから聞こえてくるデッサン。前にも一度だけありました。その時も、静かな雨が降っていました。
これで二度目。
寝ぼけてなんかいません。昨晩の酔いも完全に醒めています。
初めての時は、足音をさせると同時に筆勢がぱったり止んだので今回はより慎重に。抜き足、差し足。けれどうっかり小さな音を立ててしまいました。
するとデッサンは、すうっと消えるのです。デッサンする音だけでなく、紙も、鉛筆も、体ごと芯まで。居なくなるのではなく、その全てが消えてゆく感じ。
どこか遠くの世界に通じる扉の向こうへ、ふっ、と。
帰ってゆく。

当然アトリエを覗いても、誰の姿もありません。
デッサンの音から伝わったのはモチーフとそれを見つめる目。そして平面。それらが結ぶ三角の中心に在る、描き手の魂。
すると一瞬、その誰かの感情のようなものが滲むようにぼうっと残されて、見えるような気がするのです。消えてしまった後にも、魂のあっただろう辺りが、かすかに光り輝いて。

勘違いかもしれないンだけど、なぁんかリアルなンだよね。
これって幽霊?

日本の幽霊はコワいのが多いけど、外国の幽霊はなかなか楽しい奴がいる。らしい。タップを上手に躍ったり。子どもみたいな悪戯したり。
だったら絵が好きな幽霊だって、いたっていいよネ。

きっとデッサン、上手だよ。

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